迎え角30deg.

上向きでも飛んでいかない日々。前に進むだけで精一杯。

ツイッターとの距離を見直すときが来たんだと思う

2009年にアカウントを作ってもう11年目になる。こんなに長く続けられているSNSは自分のインターネット史上でもツイッターが唯一だ。学生の時に始めて、社会人になり、その間も日々せっせとツイートしてきた。人生の無視できない期間を過ごしてきたツイッター、そのログや人間関係は紛れもない今の自分の財産であり、重要なライフログになっている。

だけど、ここんところそのツイッターと距離を取りたいと思うようになってきた。これまでもふとした瞬間に「ツイッターやめたい」などと譫言のように吐き捨てていたが、最近になってそういう瞬間的な思いは深層での心の叫びだったんだなと実感。アカウントを捨てて消えるというつもりは今のところないけれど、付き合い方は見直していきたいと考えている。

しんどくなってきた理由はいろいろある。

1. うんざりする話題が頻繁に流れてくるようになった

反射的な政権批判やツイフェミ界隈、バカッター晒し、お気持ちメモ帳キャプチャ、説教臭い白ハゲ漫画などがバズるだけでも辟易なのに、それと合わせて“評論家”の方々のツイートが多方面からRTされて来る。ミュート設定したり、ブロックしたり、そういうネタをよくRTしてくるフォロワをリムーブしたりと自衛しているが限界がある。郵便受けに放り込まれるチラシも、見ないでゴミ箱に放り込んでいるうちはまだマシだが、昨今の状況は度が過ぎて対処に窮している。

2. なんでか怒っている人が増えてきた

1つ目と繋がっていると思うのだが、タイムラインからイライラした空気を感じることが多くなってきたことだ。怒りに満ちたツイートは、数は少なくとも印象が強くタイムライン上で見つけてしまうと後味が非常に悪い。
晒して怒って、批判して怒って、イライラに溢れた言葉の荒いツイートが他の人を刺激し、雰囲気がどんどん悪くなってるのを見てしまったりすると最悪である。リアルでも関わったことのある人がそちら側に行ってしまうのを見た時の落胆は特に大きい。義憤バトルドームと化したツイッターの現状はあまりに精神衛生上よろしくない。


上記2点は、ここ数年でじんわりじんわり増大してきた違和感だ。
事態を致命的にしたのがコロナウィルス騒動である。現実世界とは切り離され好きなことを好きなように楽しんでいる人が集まっている世界は、一瞬にして現実世界の渦に飲み込まれた。流れてくる話題は先に書いたうんざりネタに、似非医学や買い占め騒ぎなどを加えてイライラの熱を増している。ニュースを読んで各自が咀嚼すれば良いだけの内容をなぜ増幅させて撒き散らすのか。増幅されたツイートやRTのエコーが響き渡って地獄の様相である。

3. 不安感が増長される

このご時世を受けて増えてきた悲観的なツイート群がしんどさに拍車をかけてきている。具体的には「状況が収束するには2,3年掛かるだろう」とか「来年もイベントは無理だろうね」みたいなやつらである。ネガティブな内容という意味では怒りと同じであり表裏一体と言えるだろう。本人としては吐き出すことで現実を受け入れようとしているだけかも知れないし、実際に言う通りになるのかもしれない。でも、事態がどう進展していくかは現状誰にも読めないわけで、その不安の中では早く収まって欲しいねと願うことしか希望が無い。そんなところに先のようなツイートが流れてくると、増長された不安感で今だけの不自由だからと我慢している気持ちが折れるのだ。楽しみにしてたライブイベントがいくつも中止になって心が弱っているときに、そんなツイートを見ると絶望感に押し潰されそうになった。悲観は不安を呼びスパイラルに入って希望の灯が消える。なんで現実世界からの逃亡先であるツイッターを見て心を折られなければならないのか。

4. ツイートするのが怖くなってきた

投稿直前に自分の中でブレーキをかけてしまうことが多くなってきた。今のツイッターがあまりに簡単にアカウントロックされることや、RTを介しての拡散速度の速さとその発火点の低さに窮屈さや恐怖を感じている。拡散されたツイートが文脈や背景を読めないバカに届いてしまったがために、不必要な炎上を引き起こす事例をいくつも見た。ましてや世は緊急事態宣言を受けての私刑歓迎相互監視ディストピアである。
そしてもう一つ、ツイートが怖くなった要因が、上に3点挙げた「受信のしんどさ」の裏返しである。ふと思い返したとき、自分も発信側として加担してしまってきてるのではないかと思い、動けなくなってしまった。

これからどうしようか

とりあえずアカウントを消したりするようなつもりは無いし、一切触れないようにするというのは多分無理かなという気持ちもある(甘い)。現状、フォロー人数をぐぐっと減らしたリストを作って、見るならそれだけとして多少は落ち着いてはいる。ただ、発信する面での恐怖心は拭えないので、これまでのように考えたことをベタベタと吐き出していいくような使い方はしばらくしないだろう。その間はこのブログに何か書くのかな。

まずは、ツイッターと接する時間・情報量を減らして適度な距離感を見つけていきたいと思っている。