迎え角30deg.

上向きでも飛んでいかない日々。前に進むだけで精一杯。

2018年夏シアトル旅行の変わらない景色

2018年8月、遠くに出かけなければならないという強迫観念に駆られ、シアトル旅行に行ってきた。仕事の都合で2016年3月まで住んでいたシアトルだが、それ以来の訪問だ。駐在期間が約1年半であったが、もうそれより長い期間が経っている。日本に戻ってきてから怒濤の日々だったので、改めて文字にすると驚くところがある。

f:id:aoa30:20180824220717j:plain
目的はシアトルエリアの航空博物館の再訪と、ある種のケジメみたいなものであった。もともとはシアトルに行ったことがない人を手配・車の運転付きで連れ回すという企画でもあったのだが、あまりにも突発すぎて一緒に行ける人が見つからなかった。かくしてお気楽な一人旅となった。

ボーイング社工場見学ツアーに参加し、博物館を巡り、以前に住んでいたところを訪れた。3年前の生活圏内を訪れたのは金曜日の夕方であった。日常的に買い物をしていたスーパーマーケットに入った瞬間、突然タイムスリップした気分になった。店内のにおい、音、棚の並び、買い物の度に眺めていた野菜の陳列、朝ご飯のためにいつも買っていた冷凍食品・・・どれも以前に見て・聞いて・嗅いで・感じたものと変わっていなかった。金曜の夕方、その週の仕事を終え、会社の帰りにスーパーに寄り、食材やビールを買い求め、ゆったりとした気持ちで週末に向かう、あの頃の自分がふと重なってきた。そのまま以前に住んでいた家に帰ってしまうような感覚を覚えた。

f:id:aoa30:20180824222825j:plain
自分は再訪した景色が何か変化していることを無意識に求めていたのだろう。かつて見ていた空間が変化していることを期待し、この2年半の自分の変化に勝手に投影しようとしていたのだ。

でも、今回出会った景色は変わっていなかった。もちろん細かなところをはいろいろ変わっている。レジのクレジットカードリーダは磁気ストライプのスキャンからICチップの認証に変わっていたし、潰れたスーパーの跡地はスポーツクラブになっていたし、日本食材を扱うスーパーの棚には「米にかけるための醤油」が増えていたし、自分の住んでいたアパートメントの駐車場には見たことがない車が止まっていた。
それでも、その場が持っていた空気はなにも変わっていなかったのだ。

f:id:aoa30:20180824223530j:plain
私はこの8月末で転職する。自分は「変わる」んだと思っていたし、実際に転職活動をしたことで「変わった」と思いこんでいた。でも、今回の旅行で見た景色は「変わらないもの」を強く叩きつけてきた。ちょっとショックだった。

しばらくはシアトルを訪れることはないだろう。今度訪れるときは、変わったもの・変わらないものを楽しんで感じられるようになっていたい。それにどれくらい時間がかかるのかは分からない。